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福岡高等裁判所 昭和28年(う)1900号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金参千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金三百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

但し本裁判が確定した日から弐年間右刑の執行を猶予する。被告人に対し公職選挙法第二百五十二条第一項の規定はこれを適用しない。

理由

弁護人山本茂雄の控訴趣意は、記録に編綴されている同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

同控訴趣意中第一(憲法違反の点)について、

論旨は公職選挙法第百四十二条が選挙運動のために使用する文書、図画について制限をなしているのは、国民の基本的人権である思想表現の自由を侵し、選挙の理念とする選挙運動の自由を奪い、民主主義国家の構成を阻害するものであつて、違憲の法規であると主張するにある。しかし選挙運動は、自由であることのほかに、適正且つ公平に行われることを以て理念とすることは言を俟たないところであつて、現下のわが国の諸事情のもとにおいて、選挙の適正公平を期するために、前示第百四十二条が規定するように文書、図画の使用について制限を設けたことにより或る程度表現の自由の制限をもたらす結果となつたことは、選挙の適正、公平という公共の福祉のためになされた止むを得ない制度と認むべきであるから、かかる制限規定を目して憲法に違反するものということはできず、右規定を適用して被告人を処断した原判決には何等違憲はない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中第二乃至第五(法令解釈の誤、及び採証法則違反並びに法令適用の誤の点)について、

論旨は、被告人の本件行為当時には未だ国会の解散はなく、特定した選挙はなかつたのであるから、事前選挙運動をなしたものと認めることはできないのみか、被告人は自己の行為が違法なることを認識しなかつたものであるというにある。およそ政治に志し、国会に議席を占めようとする者が日頃選挙民に対し、その支持を受け、共鳴を得るためになす諸々の政治活動が常に公職選挙法に禁止せられた所謂事前選挙運動に該当するものとなし得ないことは所論のとおりであるが、国会の解散が近い将来に行われ、総選挙が施行されることが一般世人の間にほぼ確定的に予想される時期においてなされ、それが該選挙に立候補を意図する特定人のために、その当選を得るにつき必要且つ有利な行為と見られるものである限り、も早や日常の政治活動と見るべきではなく、特定の選挙を志向する事前選挙運動としてこれを取締ることが選挙の自由と公正を確保しようとする同法の趣旨に合致するものと解すべきである。ところで本件の衆議院解散による総選挙は昭和二十七年十月一日施行されたがすでに同年初頭において、わが国と多数連合国との間に調印された講和条約の実施という新しい事態に対応するため、成るべく速かに衆議院を解散し、総選挙が行われるべきであるとの論議が世上に現われ、しばしばの内閣総理大臣の言明にも拘らず政界における大勢は昭和二十七年度の予算成立を機会に解散が行われるものと観測し、国民一般にも昭和二十八年一月の議員の任期一杯内閣が継続するものとは信じられていなかつたところ、講和条約の発効後に至つては、政府の諸施策に対する野党の攻勢は一段と加わり、政府与党である自由党の内部も漸く表面化し、わが国会内外の諸情勢は内閣の更迭、政界再編成の気運を漸次醸成し、次回の総選挙を目ざす者の動きは愈々活発となつたので、国民の大多数は遅くとも同年秋頃迄には国会の解散は避け難いものと予想するに至つていた事情にあることは裁判所に顕著であるのみか、被告人上村幸生及び大久保真太郎の司法警察員並びに検察事務官、検察官に対する各供述調書や本田伝喜、松村兼雄、尾上繁太、前田巽等の司法警察員に対する各供述調書からも、これを推認し得られないでもないから、被告人の本件所為のあつた昭和二十七年八月上旬頃には、愈々近い将来に国会の解散があり、衆議院議員の総選挙が行われるであろうことは、国民多数の間にほぼ確定した予想であつたということができる上に、原判決が挙示する証拠を綜合すると、被告人は公職選挙法第百二十九条所定の日以前である判示日時頃、叙上のごとく予想される特定の選挙に松前重義が熊本県第一区から立候補する意思があることを充分承知して、大久保真太郎と共謀の上判示場所において松前重義の時局講演会が開催された際、参集した判示選挙人等に対し、同人の著書「二等兵記」を判示ごとく頒布したものであつて、右は立候補しようとする松前重義の氏名が記載された同人の自叙伝的著書を、通常の頒布方法によらないで無償で選挙人に配布した経緯にあり、次回の総選挙に当選を得させる目的で、すなわち同人の選挙運動のために使用する意図のもとにこれがなされた事実が肯認し得られるので、被告人の右所為は事前選挙運動に該当するものといわざるを得ないと同時に、選挙運動のために使用し得ない文書、図画を頒布したものであることは明瞭である。

そして犯意ありとするためには罪となるべき事実の認識があれば足り、違法の認識あることを要しないのであるから原審が右と同趣旨の事実を認定し、被告人の所為に対し、公職選挙法第二百三十九条第一号、第百二十九条とともに、同法第二百四十三条第三号、第百四十二条第一項を適用処断したことは相当であり、なお原判決が法令の適用として、以上各該当法条を掲記した後其の最も重き衆議院議員選挙法第二百四十三条第三号所定刑中云々と記載したのは、前示公職選挙法とすべきところを衆議院議員選挙法としたもので、明かに誤記と認められ、所論のように虚無の法律を適用したものと見ることはできないから原判決には所論のように公職選挙法及び憲法の解釈を誤り、または法令の適用を誤つた違法はなく、記録を調査しても原審の証拠の取捨並びに証明力の判断に採証法則の違反その他不合理と目すべき点は見出し得ない。論旨はいずれも採用することはできない。

しかしながら、職権を以て按ずるに、本件記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われた事実並びにその他の情状に照すと、原審の被告人に対する科刑は実刑の言渡をした点において、量刑が不当であると認められるので、原判決は刑事訴訟法第三百九十七条により破棄を免れない。

そして当裁判所は本件記録及び原裁判所において取調べた証拠によつて、直ちに判決をすることができるものと認められるので原判決を破毀した上、刑事訴訟法第四百条但書に従い更に判決をすることとする。

そこで、原判決の認定した事実に法令を適用すると、被告人の原判示所為中、事前選挙運動の点は公職選挙法第二百三十九条第一号、第百二十九条、刑法第六十条に、違反文書頒布の点は同選挙法第二百四十三条第三号、第百四十二条第一項、刑法第六十条に、各該当し、両者は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条に則り、最も重い違反文書頒布の罪の刑を以つて処断することとし、その所定刑中罰金刑を選択し、所定金額範囲内において、被告人を主文の刑に処し、同法第十八条を適用し、その罰金を完納することができないときは金参百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、なお情状に照し、同法第二十五条を適用し、本裁判が確定した日から弐年間その刑の執行を猶予し、また情状により公職選挙法第二百五十二条第三項に則り、同条第一項の規定を適用しないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 後藤師郎 岡林次郎)

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